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宗教的な主題の十三世紀演劇作品、ジャン・ボデルの『聖ニコラの劇』やリュトブフの『テオフィールの奇蹟』は、おおむね天国─地上─地獄の象徴的な軸に基づく劇構造を持っている。既に指摘したように、この構造は教会内での演劇である典礼劇でも確認することができる。また教会の外で上演され、典礼とは関わりを持っていないにも関わらず、その宗教的内容ゆえに、両作品とも劇の最後が、出演者と観客によって歌われる《テ・デウム(主であるあなたをわれわれは讃えます)》で締め括られる。これも典礼劇から引き継いだ習慣のひとつである。
典礼劇のなかには詳細なト書きがあるものが少なからずあるが、現存する十三世紀のフランス語演劇作品の写本では、ト書き的な記述(ディダスカリ)はあったとしても極めて貧弱である。『聖ニコラの劇』と『テオフィールの奇蹟』も例外ではない。おそらく、典礼劇は典礼の一部である以上、正確な手順を厳密に規定し、それを祭式者でもある演者が遵守することが必要とされたのに対し、十三世紀の演劇作品の場合、職業芸人であるジョングルールが演じ手であったため、詳細な演出的指示は必要とされず、むしろ演者の即興に委ねられた部分が多くあったという事情の違いに由来するものだろう。十三世紀演劇の舞台上演の実際については、ディダスカリの欠如のため、よくわかっていない部分が多いが、フェーヴルは先行研究を踏まえ、十三世紀の宗教的主題の劇作品について次のような舞台を想定している。
『聖ニコラの劇』と『テオフィールの奇蹟』では、《演技エリア》 aire de jeuの一方の端には神の《場》lieu(リュ)、もう一方の端には悪魔の《場》が、設置されていた。神の《場》には『聖ニコラの劇』では天使と聖ニコラ、『テオフィールの奇蹟』では聖母マリアが待機し、この《場》から、中央の演技エリアへ姿を現した。一方、悪魔の《場》には『聖ニコラの劇』ではテルヴァガンの神殿、『テオフィール』では地獄が設置されていた。
ところで中世演劇特有の舞台空間を示す用語として《マンシオン》mansionという用語が十九世紀以来用いられてきたのだが、フェーヴルはこの用語の使用については否定的な立場を取っている。《マンシオン》は従来の中世フランス語演劇史研究では、「ある特定の場所を表すための舞台装置一式」をおおむね意味している。『フランス語宝典』TLF**の記述によると、ラテン語で「住居」などを意味する《mansio》に由来するこの語が、舞台装置の意味で用いられている最初の用例は、十二世紀に書かれたと考えられているアングロ・ノルマン方言の典礼劇『救世主の復活』に確認できる。しかしこの用語が、中世の文献でこの意味で使用されている例は、この作品でしか確認されていない。1855年に文献学者のポーラン・パリスが聖史劇の演出について言及する際にこの語を用い、それ以来、《マンシオン》が中世演劇の舞台装置を示す用語として定着したようである。中世の演劇テクストで、演技する舞台を示す語として《マンシオン》よりはるかによく用いられたのは《場》lieu(リュ)という語である。
十三世紀のフランス語宗教劇の舞台は、複数の《場》によって構成されていたと考えられている。しかしこの《場》がどのように配置されていたかについては、研究者によって見解が異なる。大きく分けて、観客に向かい合うかたちで、複数の《場》が隣り合わせに並置されていたという説と、複数の《場》が観客とともに円形を形作っていたという説の二つがある。後者の仮説はレ=フロが提示したもので、レ=フロはこの円形舞台を《魔法の円》 cercle magiqueと名付けている**。
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