2012-02-14
ここで、『聖ニコラの劇』と『テオフィールの奇蹟』の上演において、複数の《場》が線的に配置されていた場合を想定してみよう。作品のなかにある象徴的な要素を考慮すると、この両作品はまさにそうした舞台配置に適合しているとフェーヴルは考える。
この場合、『聖ニコラの劇』では、一番端に設置される《場》は「天国」となる。次いで、「十字軍軍隊」、「王国内の居酒屋」、そして「サラセン王宮廷」という三つの《場》が並び、最後に「異教徒の神殿」の《場》が設置されるという配置になるだろう。
『テオフィールの奇蹟』でも『聖ニコラの劇』と同様に、まず一番端に「天国」の《場》が設置され、それから「聖母マリア礼拝堂」(天国の近くにある場所)、「司教の座る椅子」(現世での権力)、「サラタン(テオフィールと悪魔の仲介役のユダヤ人)の家」という劇展開を支える三つの重要な《場》が並び、最後に「地獄」の《場》が位置することになるだろう。
『テオフィールの奇蹟』で、テオフィール以外の主要な登場人物は自分の《場》を持っているのに対し、主人公のテオフィールは自分の《場》を持っていないことは、着目に値する。自分の《場》を持たないテオフィールは、上演中、常に《演技エリア》に姿をさらし続けることになる。いやむしろ彼が移動することによって、その先々に《演技エリア》が生成されると述べるほうがわかりやすいかもしれない。テオフィールは舞台に設置された、「地獄」を除く、全ての《場》を訪問する。各《場》は彼の訪問によって、《演技エリア》として順次、活性化していくのである。
このように、登場人物の一人が導きの糸となり、観客が、その人物が《場》から《場》へと移動するのを追いかけていくような構造を持つ作品は、『テオフィールの奇蹟』だけではない。例えば、『アラスのクルトワ』では主人公のクルトワの移動先が演劇的な《場》を形成するし、『聖ニコラの劇』では、サラセン王の使者であるオベロンが王の諸侯を呼び集めるときにこういった状況が出現する。しかしこれがこの時代の演劇作品の一般的・原則的な劇構造であったというわけでもないようである。というのも、「聖母奇蹟劇集」に収録された作品や『聖ニコラの劇』には、《場》が劇の筋の展開に従って連鎖的につながるのではなく、ある《場》から別の《場》に唐突に移り変わってしまうようなはっきりした断絶も見られるからである。
いずれにせよ、複数の異なる《場》が観客の目の前で一斉に提示されていれば、ある《場》から別の《場》への筋の展開はスムーズに行われていただろう。役者たちは自分の出番になると自分の《場》から《演技エリア》に現われ、演技を行い、出番が終わると自分の《場》に戻る。それと入れ替わりに出番となる別の役者が自身の《場》から《演技エリア》に出てくる。このようにして上演空間は上演中に移行していったのだろう。
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