【03-05十三世紀都市の演劇】奇跡の起きる場所、宗教劇の上演空間(1)
2012-02-12


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並列的な《場》を想定すると、『聖ニコラの劇』と『テオフィールの奇蹟』で物語が展開し、演技が行われた場所(以下《演技エリア》とする)は、「神」と「悪魔」二つの象徴的な《場》の中央前より部分だった可能性が高いとフェーヴルは考える。もし複数の《場》と観客席が《魔法の円》を形成していたと想定するレ=フロの仮説にそって考えるならば、物語が展開する《演技エリア》はこの円の中央部分だっただろう。《演技エリア》の存在は中世末期の聖史劇の舞台で確認することができるが(図、ジャン・フーケ『聖アポロニアの殉教』を参照のこと)、この舞台設計は上演についての資料がほとんど残っていない十三世紀まで遡ることができるとレ=フロは主張し、フェーヴルもそれを妥当な推論だとしている。

《場》は原則的に出番ではない登場人物たちの待機場所だったと考えられている。場合によっては、観客もその場に居合わせて、《演技エリア》で展開する劇を見物していた。もし役者たちがいつもそれぞれの《場》の内部で演技を行っていたと仮定すれば、狭苦しい空間のなかで役者たちが立ち往生する動きの乏しい舞台となるか、あるいはそれぞれ独立した場面を作るのに必要な広さを持つ複数の《場》を並置させるために、公演ごとに壮大な規模の演劇空間を準備しなければならなくなってしまう。こういった理由でおそらく、《場》とは別に《演技エリア》は舞台空間の形成の上で用意する必要があった。役者は自分の出番でないときに自分の《場》に待機して、《演技エリア》を見守る。そして自分の出番になると《場》から《演技エリア》に入り、芝居に参加する。そして自分の登場場面が終わると、《演技エリア》から退場し、自分の《場》へと戻っていった。

しかし劇行為は必ずしも《演技エリア》でだけ展開していたとは限らない。フェーヴルはさらにダイナミックで可変・流動的な上演空間を想定する。この《演技エリア》は劇行為の要請に応じてあらゆる《場》を自由に取り込むことが可能であったとフェーヴルは考える。例えば、『聖ニコラの劇』の上演に際しては、居酒屋として設定された《場》が、《演技エリア》と融合して複合的な《演技エリア》を形成する。その居酒屋の《場》に悪党たちは集まり、そこを《演技エリア》として芝居を続ける。そしてその次の場面では、王の宮廷として設定された《場》がそのまま、《演技エリア》となる。このように場面ごとに、《場》を中心に《演技エリア》が移動していった可能性をフェーヴルは提示している。レ=フロが提唱する《魔法の円》の上演空間でもこうした可動式の《演技エリア》は充分に想定可能である。しかしもし役者たちが部分的にでも《場》の内側で演技を行うのであれば、《魔法の円》というレ=フロの仮説は説得力の乏しいものになってしまうとフェーヴルは指摘する。というのも《場》の内部で芝居が行われた場合、《場》が円形状に配置されていると、観客の多くはその様子を見ることができなくなってしまうからである。

* Tresor de la langue francaise: Paul Imbs他によって編纂され、1971-94年に刊行された全16巻のこの辞書は、国立フランス語研究所INaLFによって電子化され、インターネット上の次のurlで無料で 利用することができる。atilf.atilf.fr/tlf.htm
** REY-FLAUD (Henri), Le Cercle magique : Essai sur le theatre en rond a la fin du Moyen Age, Paris, Gallimard, 1973.

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[フランス中世演劇史]

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