【02-03役者とジョングルール】初期受難劇のなかの語りの詩行の問題:一人の朗唱者と複数の演技者
2011-11-20


ラテン語のテクストのみならず、フランス語のテクストにも、その演劇性についての評価が難しい作品がいくつかある。ジョングルールたちによって口演されていたことが明らかなテクストについては、その演劇性がどのようなものであったかは、おおむねはっきり述べることができる。現在のわれわれはこうしたテクストを別々のジャンルに分類することがあるかもしれないが、当時の人々にとっては、これらはすべて「ジョングルール芸」というカテゴリにくくられるものだった。ジョングルールが役者のようなやり方で語りのなかの人物を演じていたときには、こうしたテクストは演劇的なものとしてたちあらわれる。ジョングルールの技芸には、本質的に常に語り物としての性質と演劇性が混じり合っている。

ここで問題としてとりあげたいのは、単独のジョングルールによって口演さられていたことが明らかな作品ではなく、その作品がどのようなやり方で聴衆に届けられていたのか判断に迷うテクストである。すなわち、おおむね対話体形式で書かれているものの、語りの地の文を、多かれ少なかれ、含んでいるようなテクストである。こうした作品の語りの地の文では、登場人物が提示されたり、場所や劇行為の詳細が記されていたり、あるいは場の変化が告知されたりする。このような作品は12世紀末から14世紀にかけていくつか存在する。例えば、『救世主の復活』(12世紀末)、『アラスのクルトワ』(13世紀半ば)、そして『パラティヌス受難劇』、『オタン受難劇』、『プロヴァンサル受難劇』(三作品とも14世紀はじめに制作された。15、6世紀の長大な聖史劇、受難劇の先駆けとなる作品である)といった最初の受難劇である。

上記の作品に含まれる語りの詩行は、本質的に対話体で構成されている作品に語り物としての骨格を与えるには、あまりにも短く、そして不規則であるため、その役割と機能についてはこれまで数多くの仮説が提示されてきた。上に挙げた作品で、語りの地の文が本当に語りとして機能しているとみなすことができるのは『救世主の復活』だけである。『救世主の復活』では、序文のテクストが舞台上のいくつかの異なる場面の内容を伝えるほか、場面のつなぎの箇所に置かれた語りによる記述によって、台詞のない場面でどのような芝居が行われるのかが説明されている(例えば十字架から救世主の遺体を下ろす場面などの描写など)。『救世主の復活』は、12世紀から13世紀のあいだに、数度にわたる改変が加えられているが、このテクストの残された状況から、この作品は数人の役者によって演じられ、役者のうちの一人が語りの地の文を読んだとする説が有力である。

他の作品に含まれる語りの詩行の役割と機能については、いくつかの解釈は提示されているものの、はっきりとわかっていない。しかし、例えば『パラティヌス受難劇』のように、語りの詩行がごく数行しかないような場合であっても、語りの地の文の存在は、語りもの文芸としての性格を作品の中で主張している。モリス・アカリー Maurice Accarieは、『パラティヌス受難劇』の台詞は、登場人物たちは自分がこれから行おうとすることや、行っていることについて語ることが多く、地の文の存在のみならず、対話体で書かれた部分についても語りの文芸の痕跡が色濃いことを指摘している*。それゆえ、この作品は真正な演劇作品であるとは言えないし、同時に明確に語りものに属する作品とも言えない。われわれが手元にあるテクストは多くの場合、何度にもわたって、複数の人間の手によって何度にもわたって改変が加えられた結果であるという中世のテクスト特有の事情もまた、こうした曖昧さをさらに複雑なものにしている。


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