【02-04役者とジョングルール】個人芸から集団による表現へ:複数の人物による芝居
2011-11-26


ジョングルールの芸能は本質的にソロ・パフォーマンスであり、集団による芸能ではない。いかにジョングルールが役者のように演じたとしても、その芸は語りのシステムのなかに組み込まれたものである。役者とは違い、ジョングルールは、自分たちの芸が作りだした世界のなかに観客を引き込むことはない。ジョングルールは、自分が今、ここで語っているのは、どこか別の場所で起こった、過去の物語であると、明示的なかたちであれ、暗示的なかたちであれ、観客に対して常に伝えているのである。ジョングルールは、現実の世界と物語の世界の間を絶えず行き来する。これこそがジョングルールの芸の特質なのである。しかし集団によるパフォーマンスのなかで、ジョングルールがこの技芸を用いて、二つの世界を行き来する様子を思い浮かべることは難しい。ジョングルールがある人物から別の人物へ、ある場所から別の場所へと自在に移行することができるのは、その技芸が単独のパフォーマンスに基づくものであるからなのである。

語りもの文芸は、単独の朗唱者による芸能であり、集団的パフォーマンスにはなじまない。語りものの文化が演劇の文化と一致することはほとんどなかったことは、これまでしばしば指摘されてきた。アラブやブラック・アフリカでは、あたかもこの二つの文化が共存不可能であるかのように、語りものの文化が消滅するとそれと入れ替わりに演劇の文化が出現している。フランスでは、14世紀になるとジョングルールは徐々に衰退し、その技芸は失われていった。それはおそらく、ペストや戦乱などこの時代の社会全体に関わる危機的状況のなかで、放浪の旅芸人であったジョングルールの顧客となる層が徐々にその活力を失ったために違いない。時代が進むにつれ、旅回りをやめて定住化するジョングルールが増えてきた。ジョングルールのなかには、特定の貴族に仕え、宮廷お抱えの芸人、作家として活動する者が出てきた。あるいはメネストレルmenestrel、さらに時代が進むとメネトリエmenetrierと呼ばれる芸人となり、音楽家や道化として宴会、舞踏会を盛り上げることをもっぱらの職務とするようになった。

ジョングルールの消滅によって生じた芸能の空白は、徐々に同業者による信心会の成員たちによる素人芝居によって埋められていった。前述したように、初期の受難劇に含まれる語りの詩行のなかには、ジョングルールたちのレパートリーで使われていた素材が再利用された痕跡を見出すことができる。中世の教会建築に、古代ローマの神殿の円柱が再利用されているのと同じように、信心会の素人役者たちはジョングルールの遺産を利用したのである。芸能者としての訓練を経ていない彼らにとって、ジョングルールによる語りのテクストを複数の演じ手によって上演されるためのテクストに書き換える作業は、簡単なものでなかったに違いない。残されたテクストの不器用さが、この作業の大変さを示している。14、5世紀の演劇テクストのタイトルにはしばしば「複数の人物による」par personnagesという語が添えられていることは興味深い。あたかも作品が単独の人物ではなくて、複数の人物によって演じられる芝居であることを明確に示すために添えられているかのようである。


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[フランス中世演劇史]

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