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現存するアダン・ド・ラ・アルの二つの演劇作品のうちの一つである『葉陰の劇』には、アラスの大ブルジョワへの批判や風刺、皮肉がふんだんに盛り込まれているが、これを作者の社会的身分と関連づけ、この作品の反=都市貴族階級の側面を過大に見積もらないように注意しなくてはならない。『葉陰の劇』では幾人かの大ブルジョワたちの吝嗇ぶりが名指しで辛らつに批判されているが、作品で言及されていない別の大ブルジョワの一族が観客にいて、劇中のそうした場面で自分のライバルが批判されるのを満足げに眺めていた可能性もあるのだから。
もっとも『葉陰の劇』のなかに見られる現実社会の反映は、それまでの演劇には見られないものであることは確かである。作者はアラスの都市内部の対立に大胆に言及し、幾人かの人間を手厳しく批判する一方で、別の人間についてはその風刺にかなり手加減を加えている。『葉陰の劇』では、アダン・ド・ラ・アルの批判の矛先は都市の大ブルジョワたちにとどまらない。この頃、聖職者の免税特権の一部を廃止した教皇も批判の対象となっている。さらに大ブルジョワとして権勢をふるっていたクレスパン家とルシャール家の後ろ盾となっていたアラスの封建領主、アルトワ伯もまた、間接的にではあるが、批判されている。このような個人を名指しした直接的な風刺を行っている点で、『葉陰の劇』は十五世紀の阿呆劇(ソティ)の先駆けとなっている。
また阿呆劇と同じように、『葉陰の劇』の内容は、キリスト教よりはむしろ異教に由来する祝祭と強く結びついている。おそらくこの作品はペンテコステの祝日の前後に上演された。『葉陰の劇』には、年に一度、妖精たちが町の広場に到来する夜の出来事が記されている。この劇の中盤では、アラスの広場に到来した異教的な存在である妖精たちによる幻想的驚異が展開する。この妖精たちの口を借りて、通常ならまず許されないような辛辣な批判や自由な言説が繰り広げられる。『葉陰の劇』はおそらく、何回も再演されることを想定して作られた作品ではなく、一回きりの上演のために書かれた作品だった。再演が仮にあったとしても、再演の場では現実を写し取ったこのような作品の風刺の多くは効力を失い、理解されなくなってしまっていただろう。本来ならばこの種の作品は記録されることなく忘れ去られてしまったに違いない。『葉陰の劇』はアダン・ド・ラ・アルという、演劇のみならず多くのジャンルに作品を残した大詩人の作品であったがゆえに、写本に記録されるという幸運を得たのだろう。中世演劇作品で『葉陰の劇』ほど、具体性をもって同時代の現実を描き出した作品は他にはない。
ただし、もっと一般的なかたちで13世紀の世相を反映した内容を持つ演劇作品は他にもある。例えば、『聖ニコラの劇』の冒頭部では、十字軍に対する強い関心が表明されている。この作品は第四次十字軍(1200年頃)の頃に書かれた。『聖ニコラの劇』の作者、ジャン・ボデルは、聖人による奇跡という「聖者伝」で扱われてきた伝統的な素材を選択しつつ、従来の奇跡譚にはみられない独自のあり方でこの素材を提示している。まず劇の舞台となるのは十字軍の遠征先、サラセン軍の土地である。異教徒の王がキリスト教徒の侵入を知らされる場面で芝居は幕を開ける。『聖ニコラの劇』では、キリスト教徒は敵地でサラセン軍によってほぼ全滅の状態に追いやられてしまう。生き残ったキリスト教徒は一人だけで、彼はサラセン人に囚われの身となる。
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