【03-02十三世紀都市の演劇】社会の鏡としての演劇(『葉陰の劇』と『聖ニコラの劇』)
2011-12-08


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『聖ニコラの劇』はおそらく、異教徒たちとの戦いの犠牲になったキリスト教戦士たちを讃える芝居でもあった。『聖ニコラの劇』の基調は悲劇的なものではないのだが、劇中で十字軍兵士たちが登場する唯一の場面にはパロディの笑いの雰囲気はない。サラセン人の大軍との決戦の直前の場面である。十字軍兵士たちは、数的に圧倒的に劣勢の状態にあり、決死の戦いとなることを承知している。取り乱すことなく、むしろ喜びをもって、この戦いへの覚悟を確認する彼らの姿には悲劇的な美しさがある。天使が彼らのそばに降り立つ。この戦闘による死は、戦士たちにとって驚異的な幸運なのである。というのも死によって彼らには殉教者の冠が与えられ、彼らの前に天国の門が開かれることになるからである。壮絶な戦いのあと、天使がキリスト教徒の遺体に言葉をかける。するとキリスト教の戦士たちは起き上がり、天使に導かれ天国へと向かう。当時の上演ではこうした場面が再現されたに違いない。しかし『聖ニコラの劇』で殉教は美しい行為として描かれてはいるが、その行為は異教徒には何ら影響をもたらすことはなかった。異教徒たちは聖ニコラの行う奇跡によって改宗へと導かれるのだが、その奇跡は聖戦の場では起きない。

サラセン王は宝物庫の鍵をわざとかけないままにして、そこに奇跡を起こすという聖ニコラの像を「番人」として置く。そして宝物庫の鍵がかかっていないことを国中に告知する。一晩その状態にしておいて、もし盗賊によって宝物庫の宝が盗まれていたら、サラセン王は捕虜のキリスト教徒を殺すことにしたのである。町の居酒屋でその話を聞いた盗賊は、宝を盗み出して、それを居酒屋に運び込んだ。すると聖ニコラが、その宝を取り戻すために居酒屋に姿を現した。そして聖ニコラの奇跡によって、宝は異教徒の王のもとに戻される。異教徒の王はこの奇跡によってキリスト教徒に改宗した。『聖ニコラの劇』で奇跡の場となるのは、多くのキリスト教徒が血を流した戦場ではなく、居酒屋なのである。

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[フランス中世演劇史]

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