【01-11教会の演劇】典礼劇の言語:聖職者のことばと民衆のことば
2011-10-02


愚人祭でとり行われていた儀式には確かに演劇的要素が含まれているが、これを独立した演劇ととらえるのは行き過ぎた見方となるだろう。愚人祭で役者として何かを演じていたのはロバあるいは子供たちの司教に限られており、儀式のなかで演劇的な部分というのは限られていた。

ここで重要なのは、その見かけの猥雑さ、世俗性にも関わらず、愚人祭が聖職者たちによって担われていたという事実である。いわゆる典礼劇にせよ、愚人祭にせよ、教会の中で行われるあらゆる演劇的パフォーマンスは、聖職者が独占的役割を担っていたのである。こうした作品はラテン語でもっぱら記述されていたことが、この何よりの証拠である。「聖墓訪問」を記録している『聖務規則集』の中で、聖エテルウォルドは「無知な民衆と新しい修道僧の信仰を確かなものとするため」[ad fidem indocti vulgi ac neofitorum corroborandam]この典礼劇が作られたと記している。この記述が、典礼劇が文盲の民衆の教化を目的としているという説明の根拠のひとつとなっている。しかし≪ indocti vulgi ≫は民衆だけでなく、教養の乏しい下級聖職者を指していた可能性もある。そもそも典礼劇が聖書の内容を伝えるという民衆教化を第一義としていたならば、一般信徒には理解できないラテン語でそのメッセージを伝えるというのは理屈に合わない。また十二世紀になるまで、典礼劇のテクストはすべて歌われていた。音楽は聴衆の感覚に直接訴えかけるが、テクストの内容理解の補助手段となるとは思えない。

ラテン語と歌は、典礼儀式とその祭式者(すなわち聖職者)と固く結びついていたため、俗語による典礼劇はなかなか現れなかった。俗語が用いられた最初の劇作品は、十一世紀末の『花婿の劇』Sponsusである。この劇は「マタイ伝」第25章にある「賢い花嫁と愚かな花嫁」の例え話に基づいている。この典礼劇ではラテン語で書かれた詩行に、フランス語の翻訳が挿入されている。しかしそれは単なる翻訳ではない。ラテン語のテクスト全体が、たった一つのフランス語のリフレイン句によって要約されていることもあれば、ラテン語のテクストには登場しない人物(大天使ガブリエルや香油の商人たち)がラテン語を一切使わず、フランス語だけで話すこともある。卓越した文学性と音楽性を有する『花婿の劇』は、以下の二つの点で演劇史的な重要性を持っている。まずこの作品は聖書の譬え話を題材とする最初の劇作品であることだ。それまでの典礼劇はすべて、歴史的事実とみなされていた聖書のエピソードを演劇化したものだった。第二の点は、『花婿の劇』はラテン語を理解しない観客にも開かれた最初の演劇作品であるという点である。

アベラール*の弟子だったヒラリウスHilariusは、典礼劇の作者のなかでその名が知られている最初の、そして唯一の人物である。彼の作品のなかにはときおりフランス語が取り入れられている。ラテン語ではじまった台詞が途中からフランス語に変わり、フランス語で締めくくられる箇所がいくつかある。しかしそれを『花婿の劇』でのフランス語の導入とは同列に考えることはできない。ヒラリウスの作品の成立年代は『花婿の劇』よりも前だが(1125から1150年)、そこで使われるフランス語は、ある種の文体上の効果を狙った詰め物のようなものに過ぎず、ラテン語を話さない観客の理解に貢献するものではない。

結局のところ、12世紀になってもなお、教会で上演されていた典礼劇は本質的に、聖職者たちのために、聖職者たちによって書かれた演劇だったのである。もし一般信徒が観客としてその上演に立ち会っていたとしても、彼らは主要な観客とは見なされていなかった。教会で上演に立ち会った一般信徒は、音楽に心動かされ、その所作に魅了されたかもしれない。しかし彼らはそこで語られるテクストのニュアンスを理解することはできなかった。そもそも民衆の理解に配慮することなく典礼劇は制作され、上演されていたのである。


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[フランス中世演劇史]

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