【05-06】《長大な劇形式》閉じられた劇空間
2013-03-21


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時代が下り観客から入場料を取るようになると、興行主はただ見されないように、開放的な町の大広場を離れ、四方を壁に囲われた閉鎖的な空間で次第に聖史劇の公演を行うようになった。市庁舎の中庭が公演会場として選ばれることが多かったが、修道院などの列柱廊に囲まれた方形広場、古代ローマの円形闘技場などで上演されることもあった。

 閉鎖された劇場空間で料金を支払った観客が舞台を見ることができるように、個室型客席(ボックス席)と階段席が考案された。木造の観客席の建築には費用がかかるため、観客をできる限り詰め込むことで観劇料金を下げた。舞台と客席の設計は地域、時代、演目よってさまざまだった。複数の舞台美術(慣例的に「マンシオンmansions」と呼ばれる)を水平方向に並べた「並列舞台装置」が聖史劇の標準的な舞台構造であると長らく考えられていたが、1970年代になると、アンリ・レ=フロが複数の舞台が円形状に配置された「円形魔法陣」の舞台で聖史劇が上演されたという仮説を提唱し、従来の「並列舞台装置」仮説を批判した*。この仮説は論議の対象となったが、その後、エリー・コニグソン**をはじめとする何人かの研究者が、フランスでは場所によって、いくつかの舞台形状が用いられたことを明らかにした。観客が並列された複数の舞台装置と向き合うかたちの場合があれば、レ=フロが主張するように円形上に設置された複数の舞台装置が、観客席を取り囲むこともあった。あるいは中央の演技エリアを観客席が取り囲む形状の円形舞台で聖史劇が上演されることもあった。(【図】05-06terに掲載のイラストを参照のこと。[URL]

 聖史劇上演の様子を描いた図像資料としては、ジャン・フーケの『聖女アポリナの殉教図』(シャンティ、コンデ美術館所蔵)とヴァレンシエンヌの聖史劇の様子を描いたユベール・カイヨーHubert Caillauの写本細密画(パリ フランス国立図書館所蔵)の二枚がよく知られている。ジャン・フーケの絵はレ=フロの円形舞台説の内容とほぼ合致しているが、カイヨーの図像では並列舞台が描かれている。
(【図】ユベール・カイヨー「1476年ヴァレンシエンヌでの受難劇の細密画」 )

 カイヨーの描く舞台装置は、左から「天国」、「ナザレの町」、「神殿」、「イェルサレム」、「王宮」、「司教たちの館」、「城門」、「古聖所(リンボ)」、「地獄」を表し、それぞれが独立した異なる場を形成している。カイヨーの舞台図は、あまりに真正面からシンメトリックな構図で書かれているため、上演時の舞台の様子を忠実に表現したものではないと考えられている。
 ジャン・フーケの図像では、観客席と演者の待機場となるボックス席が、中央にある演技エリアを取り囲んでいる。フーケ図像では演技は地面の上で行われているがこれは例外的であり、通常は、幅が10メートルから40メートルほどある木製の長方形の舞台が設置された。
(前の記事掲載の図像を参照のこと。ジャン・フーケ『聖女アポリナの殉教図』[URL]

 フーケの図像をマンガ風に書き直したアンドレ・ドゥゲーヌのイラストを参照して、その詳細を観察してみよう***。
(【図】については、次の【05-06】bisの記事掲載の図像を参照のこと。[URL]ドゥゲーヌによる『聖女アポリナの殉教図』のイラスト』)

中央の聖女アポリナの右手で、台本を持ち、指揮棒で指示しているのが、上演の総括監督であり、今日の舞台の演出家にあたる。前方の部分が物語が展開する演技エリアであり、《ウール》hourtないし《シャン》champと呼ばれていた。板に縛り付けられたアポリナは4人の処刑人によって拷問を受けている。中央の右手の処刑人は、アポリナの歯を抜こうとしているように見える。左前方には頭巾を被り、尻をむき出しに下道化の姿が見える。

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[フランス中世演劇史]

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